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会報

公開日:2020年09月09日 最終更新日:2022年03月31日

タイトル 会報 わたし愛ニュースレターと理事会報告

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NPO法人・アロハート 臨時:理事会報告書(2020・9・1)
NPO法人・アロハートは、去る9月1日(火)に臨時の理事会を開き、当面の課題や今後の取り組み等について話し合いました。現下のコロナ禍で手探り運営を余儀なくされていますが、この機をとらえ「アロハート」の存在意義をもう一度、問い直し「総括」したうえで、時代の変化に適応する「学び」の在り方…など、率直な意見交換ができました。以下にその概要をご報告しておきます。よりよい人間関係の参考になさって頂ければ幸いです。

▼総括 :アロハートを意義付ける3つのグループ構造。
 (1)自宅や職場とは別の心地よいコミュニティとしての「第3の居場所」(サード・プレイス)を確保するグループ。難しい話はさておき、人間関係の裾野を拡げる多様な個性の「温もり」の場で、男女を問わず晩年の出会いは極めて貴重。
(2)「品川講座」でカウンセリングの基本を学ぶ主力グループ。資格認証に挑戦するなど「傾聴ボランティア」等で社会貢献を目指す人もウエルカム。
(3)「楽学フォーラム」など自前の講座を立ち上げるグループ。互いの人生体験を分かち合う「相互教授法」で、個別の「生き方」の事例研究を試みる。「親業一般訓練講座」等、その他の「イベント講座」も大きくはその流れの一環。
以上、概ね3つのグループの複合作用でアロハート機能が形成されています。3者ともに「参加自由・価値平等」で、尊重し合いながら多様性の一致を目指します。情報や学びの成果は、必要な時に「再生」できてはじめて役に立つので「ニュース・レター」を、その受け皿に活用し、広く相乗効果を浸透させる方向です。

▼考えるヒント 他者の眼
日頃の私たちの社会生活は「他者の眼を意識」しながら自分をコントロールしている。ところがコロナで「ひきここり」が長期化すると外部との人間関係が希薄になってくる。そうすると他者の眼に自分がどのように映っているかを気にしなくて済むので、おのずと「自己制御能力が低下」してくる。つまり、自分の「甘え」をさらけ出して平気で居られるのだ。実はこの「社会的孤立」⇒「生活不活発」⇒「自己制御能力の低下」のプロセスが心身の健康状態を害することが分かっている。身体的にはフレイル(虚弱)を招き、社会脳はマヒしてボケてくる。他者の眼は「自己制御装置」のようなものなのだ。人間にとって「人とつながりたい」という社会的欲求は、安全の欲求に匹敵するといわれる。その意味で、たとえ家族がいても、家族とは別の他者の眼を意識する社会的な「つながり」が求められよう。コロナの試練は自分の「在りよう」を考えるチャンスかも知れない。   

▼第7回楽学フォーラム:「夫との死別体験に思う」
私の夫は1980年代のバブル経済下の財テクブームに巻き込まれ、投機的な「株式投資」と「信用取引」に陥って多額の負債を抱えてしまいました。バブルの崩壊とも相まって「どうにもならなく」なり、夫はパニック障害と鬱病を併発し不幸な最後を遂げました。この出来事さえなければ、私の日々は幸せで、もう一度、生まれ変わっても理路整然とした彼の魅力に惹かれていたと思います。私は精神的にタフなタイプですが、夫の短い人生に重ねて、残されたこの先の自分を思うに「何のために生かされているのか?」を内省しながら、何か社会のためにお役に立ちたい気持ちがいたします。幸い「アロハート」さんとのご縁を得て、その可能性が拓かれたと実感しております。

▼考えるヒント 社会脳
人間の脳は自分の命を守ることから始まって他者と共に生きることで進化してきた。そう考えると社会的距離(ソーシャルディスタンス)をとる人間関係は大きく2つの流れに分かれるように思える。1つは非常事態だからこそ今まで以上に人間関係の信頼や絆を大切にしょうとする方向。もう1つは、混迷による疑心暗鬼で人間関係が疎遠になっていくこと。もち論、前者が好ましい。社会脳が働かなくなると認知機能が低下することが分かっているからだ。平たく言うとボケてくる。あるいは気難しい嫌老になりかねない。現に「特別養護老人ホーム」の認知症患者は家族との面会謝絶で認知障害が加速しているという。人間関係の「学び」とは詰まるところ「社会脳」を磨くことなのだ。コロナ予防による社会的距離をせめて「ニュースレター」を介した「渡し愛」でつなぎたいものである。

▼「不要不急」のケア・カウンセリング?  品川博二・講師
「玄関で父が私に別れを言う場面なのです!」Netカウンセリングで、あるクライエントはくり返される悪夢の体験を訴える。地方の資産家の婿養子に入った父は、養父との折り合いが悪く、家を出た。クライエントは成長し、今は看護師として円満な家庭生活を送っている。その後、再婚した父親とも交流があるという。しかし、彼女の心の中では「父に捨てられた10歳の少女」が、父が戻ってくることを今でも玄関で待っているのである。今や新型コロナウイルスの影響で「不要不急の外出の自粛」がうたわれている。ケア・カウンセリング柏市民講座(アロハート)もその例に違わず、3月~4月の中止が決まった。しかしながら、私たちの「学び」は「急ぎ」ではないが、「不要」ではない「ほんとうにだいじなものは隠れて見えない」(『いのちの歌』竹内まりあ)この「だいじなもの」を見つけ、大切に扱うことに学問の意味がある。そして何よりも、ケア・カウンセリングの学びは、自己の心の安定は、他者との人間関係の連携にあると教えている。親子関係の葛藤を修復し、現在進行形の対人トラブルを検討する。新型コロナウイルスの脅威が収まり、ケア・カウンセリング講座の再開を願う毎日である。

▼時の話題  ~認知症の第一人者が認知症になった~。
最近のテレビで「認知症の第一人者が認知症になった」という興味深い番組が放映された。「長谷川式認知症テスト」で知られる認知症の権威者・長谷川和夫医師自身が認知症になってしまったのだ。私の関心は、その事自体ではない。長谷川医師が「最近、記憶力が衰え、確かさがなくなってきた」と自覚できているのに、ピント外れの「見当識障害」には終始,気づいていないことだ。家族との会話や講演会での言動等が明らかに「マト外れ」なのだ。家族が認知症専門医に「本人に指摘すべきか?」と相談すると専門医は「そのままにしておきなさい」と、穏やかな受容を指導していた。この見当識障害はMCI(初期認知障害)の段階から少しずつ目立ってくるそうだ。周りの人は気づいているのに、本人は全く意に介さず大真面目である。実は私の近辺にも、そのような気配の人がいないわけではない。それよりも、もっと怖いのは、日ごろの「時と場合と場所」の言動において、自分自身のピントが微妙にズレてきていないか?…の不安である。あと5年も経つと65歳以上の5人に1人、85歳以上だと2人に1人が認知症になるという。

▼第6回楽学フォーラム:「認知症の父を抱えて」
▼「相互教授法」による第6回目の講話は、嫁いでいる長女の弓場哲子さんが、和歌山で妹さんが介護していた認知症の実父を引きとって、柏の施設に入居するまでの苦闘と教訓の独白でした。弓場さんの実母は63歳で急逝、70歳のお父さんは、そのショックもあって認知症を発症、嫁した二人の娘との板挟みで孤立と疎外感を深めていったそうです。すったもんだの結果、今は特別養護老人ホームで落ち着ているとのこと。この体験を通して大きく3つの教訓が指摘できます。1つは、もし自分が認知症になったとき、現実問題として誰が、厳しい介護を担うのか?。2つ目は、その要介護を巡って、良きにつけ悪しきにつけ家族の再編を迫られる。3つ目は、要介護の認知症になっても過去の「生き方」を引きずることへの理解です。明日は我が身かも?。心しておきましょう。

▼第5回楽学フォーラム:「均整体操の実習で健康促進」
関節と筋肉を整える「均整体操」をマスターすると、要介護リスクの「ロコモ」(運動機能の低下)予防のみならず「脳フィットネス」にもなるそうです。幸いなことに30年もの経験を積んだ均整体操の先生(健康管理士)から、直接指導を仰ぐ機会を得ました。アロハート・メンバの今井美弥子さんが、その先生で、去る1月16日の第4回・「楽学フォーラム」では、約20名の老若男女が初歩的な均整体操の指導を受け、爽快に「ひと汗」かきました。人間の身体は,動かさないでいると、いわゆる「廃用性症候群」になってしまいます。今井先生による均整体操では、普段使ってない関節や筋肉をバランスよく動かすので、筋肉強化はもとより、血流促進、発汗作用、老廃物浄化…等の促進が得られます。人間は幾つになっても「背筋の伸びた健康美」の第一印象が決め手です。

▼茶話 隣組
♪~花は 花は 花は咲く いつか生まれる君に 花は 花は 花は咲く 私は何を残しただろう♪…東日本被災地の復興を物心両面で応援するチャリティーソングである。実はもう1つ、復興応援歌があったのをご存知だろうか?。かっての国民歌謡「隣組」である。『♪とんとん とんからりと 隣組 格子を開ければ 顔なじみ まわして頂戴 回覧板 知らせられたり 知らせたり♪』。被災地の施設等で唄われ、昔の近所付き合いが懐かしく感じられて好評だったそうだ。「~♪知らせられたり、知らせたり。~♪教えられたり 教えたり。~♪助けられたり、助けたり」と続く隣組ソングの精神は、他者援助と自己成長が同時に起きる単純な原点だ。人に迷惑をかけない生き方よりも「お互いさま」のほうが温かい。今年も隣組のよしみでよろしくお願い致します。(A・S)

▼第4回楽学フォーラム:「アルコール依存症と断酒会」
 日本のアルコール依存症患者は全国で100万人近いといわれています。とくに女性の依存症患者が多く、最近では若者が増加傾向にあって社会問題になっているそうです。今回の「楽学フォーラム」では、ご主人がアルコール依存症でお苦しみになり「断酒会」を支えにやっと依存症から抜け出した貴重な体験談を伺い学ぶことができました。アルコール依存症は、お酒を口にする人なら誰もが発症する脳の病気で一生治らないといいます。治療方法は2つしかありません。1つは本人が断酒する。もう1つは入院したり断酒会で励まし合ったりして断酒のきっかけをつくること。断酒会ではお互いの体験談を交換し合いますが、自分と共通の思いや行動の患者と語り合うと気が軽くなり、あらためて自分の依存症を自覚さられたりするそうです。但し、飲酒を断念しても、また飲んでしまう中毒性があるのが怖いところで、常に「回復途上」の精神療法が続きます。アルコール依存症と闘う赤裸々なご家族の体験談を伺い、いかにアルコールに無知であったかを思い知らされました。(定由)  

▼第3回楽学フォーラム:「ひきこもり」の感想。
 27歳の長男が13年間もひきこもり、今年の4月から働きに出るようになったそうです。わが子を愛さない母親はいません。次男と分け隔てなく母性を込めた言動で育てた積りが、心の折り合いがつかず日々、途方に暮れていました。統合失調症?の診断を受け、即刻入院をすすめられたものの刃物三昧で警察沙汰になる始末。結局、母親の別居と「あなたが働いてくれるなら、私は死んであげる」という異常な交換条件で、どこかへ勤めに出るようになったといいます。この捨て身の踏み込みが、母子の修復を妨げるとは思えません。お前のためなら「母は死んでもいい」という決死の覚悟もまた歪んだ「愛」の表現形態かも知れません。きっかけは、ともかく結果的に長男はひきこもりを脱しました。おそらく、その息子さんは心の隅で「お母さんに死なれては困る」と本能的に思っているはずです。(A・Y)

▼第2回楽学フォーラム・「親業訓練とは?」の要約。
第2回・「楽学フォーラム」は、教師体験と親業をマスターした識者から現代の世相をにらんで「親子関係を改善し、健全な家庭と子どもの成長を実現する親業訓練とは何か」について学び合いました。20名の参加者のもと、忌憚のない活発な質疑応答もあって近親感のあるフォーラムとなりました。親業訓練の基本的態度は3つに要約されるそうです。第1に「聞くこと」…何よりも子どもに心を開く「能動的な聞き方」です。第2は「話すこと」…ヨロイを着込んで素直に話せない子どもに親が素直に伝える「私のメッセージ」です。第3は「対立を解く」方法で、ポイントは「勝負なし法」だそうです。質疑応答では「ひきこもり」「不登校」「高齢化の葛藤」「認知症患者の子ども還り」「昨今の幼児虐待事情」等々、いずれもが身近で深刻な現代的テーマが提起されました。親業訓練は家庭内トラブルの予防措置の役割を果たすといえます。品川カウンセリング講座の補強学習とも相まって好評でした。

▼第1回楽学フォーラム・「不安と向き合う」の感想
去る8月8日(木)の品川・傾聴ボランティア講座の後、応用学習を兼ね、17名の参加者を得て「第一回・学楽フォーラム」が催されました。初回のコメンテーターは定由新さんで、テーマは「不安と向き合うアラカルト」。その感想を要約してみました。
定由さんの闘病体験によると、死の不安を受け入れてから「残された時間の使命感」が大きく喚起されたそうです。つまり不安は「生きる欲望の裏返し」だと考えられる。ドキっとさせられたのは、不安は「無知」と関係があることです。要するに情報不足です。私自身の不安対処法は、とにかく動いてみることです。何もしなければ、不安は居座ってしまいます。行動に伴う体験情報が豊富だと、確かに不安は生きる力の一部になりえます。森田療法に「不安は安心のための用心なり」という名言があるそうです。不安を抱えたままでも、やるべきことをやっていれば、結果的に不安は和らぐと知って、あらためて気持ちの整理ができました。(横山)

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