2017年度学校訪問事業 高田小学校
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2017年9月12日 6年生 3クラス 98名
体育館で朗読劇「あの日」を公演
読み手・照明・音響・スライドを11名で担当
高田小学校での公演は昨年に続き、今年で6回目でした。
後日、感想文集が届きました。
〇 朗読劇、とても印象に残りました。71才以上の方々は、戦争の時代に生きていた数少ない人なのですね。後遺症に苦しんでいる方もいるのも分かりました。その写真も見ました。かみの毛がぬけ落ちて、ろくに薬もない中、発熱してしまう。そんな昔が日本にあったという悲しさを感じます。日本にしか落とされなかった原子爆弾のひさんさ、恐ろしさを広めていくのが私達現在の人の役目なのかなと思います。
〇 ぼくは最初、麦わらぼうしの会ってなんだろうと思って、手をあげて発表したいと言いました。最初は、ただ読むだけだと思ったけど、内容を読むと悲しくて、読む時は、心をこめて発表しました。麦わらぼうしの会のおかげで、戦争にきょうみがわいてきました。ぼくは、絶対に戦争はしたくありません。
〇 学校に置いてある本や画像を見たら、見たくなくなってきて教室に戻ってしまいます。
ですが、いつ起きるかわからない戦争から目をはなしたらダメだなと思いました。麦わらぼうしの会の方々の朗読も耳が痛い話ばかりでした。でも、すごく勉強になったし、知らなければいけないことも知ることができました。今の日本は争いごとが少ないですが、いつ戦争が起きてもおかしくありません。そのためには、私たちが日本を、いや世界を動かすことができればいいです。
〇 「こわい」「悲しい」「心がいたい」、この気持ちが話を聞いているとき、ずっと心の中にありました。「もし自分もこんなことがあったら」「もし、家族もこんなことにあったら」。そんなことも考えて、「学校で友達を遊ぶ時や、家族と一緒にいられることが、どんなに幸せなのか」と、本当に怖かったです。パネルを見に行った時も、またこの感情を思い出して、心が痛かったです。今回は本当にありがとうございました。
〇 私は皆様の話を聞いて、原爆のおそろしさを実感しました。私は話を聞くまでは、「原爆なんて72年前に投下されて、そのことを掘り返さなくて良くない?」と思っていましたが、話を聞いて、原爆のおそろしさを後の世代に伝えなければいけないと思いました。もう一つ思ったことは、幼くして亡くなった子供たちのことです。生まれて物心ついたら
もう戦争が始まっていて、幼い頃から働かされて、ぜいたくも楽しいことも知らずに亡くなったなんて、とてもかわいそうだなと思いました。
〇 最近テレビで「戦争で原子爆弾が落ちた場所を知らない」という人々が多くいるそうなので、教えてもらったことを、次の世代に伝えていきたいと強く思いました。「戦争は72年前にあったが、絶対に忘れてはいけない。なぜなら戦争で亡くなった子供や大人がいっぱいいるから」
〇 戦争は二度とやってはいけないものです。僕たちは戦争を経験していないので、今のくらしのありがたみが分かっていません。でもこの話を聞いてありがたみを感じながら暮らしていきたいです。
〇 自分のおばあちゃんが小さい時、松山から広島に投下された原子爆弾によるキノコ雲が良く見えたこと、畑にいても戦とう機のじゅうでねらわれたり、うたれてしまった人を見て、とても怖かったという話を聞いたことがあります。
〇 ぼうくうごうに早くにげこんだ男の子が、ずっと家族をずっと待っていて、お父さん以外は帰ってきたけど、日がたつごとにどんどん死んでいって、とうとう男の子一人になってしまったという話がすごく心にきました。ろうかにおいてあるパネルを見ましたが、赤ちゃんをおんぶして立っている女の人の写真が心にきました。5才ぐらいの男の子が弟をおんぶして焼かれにいく写真がすごく考えさせられました。
〇 家に帰ったあと、私は家族と戦争について話しました。その結果、「これ以上尊い命が亡くならないよう、戦争をしてはいけない」となりました。麦わらぼうしの会の皆さんのおかげで、このようなことに気づけました。ありがとうございました。
〇 ぼくは朗読を聞いて本当に戦争がこわいことを知りました。ぼくたちは平和な時に生まれて本当に良かったです。しかし、最近北ちょうせんがミサイルをうってくるので、アメリカと北ちょうせんが戦争にならないか、心配です。今後、戦争がないようにしてほしいです。日本に原子ばくだんが落とされたことを、日本人として忘れてはいけないと思いました。
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