まなび屋講座「江戸のはやり病~五代将軍綱吉麻疹に死す」
2022年5月度「まなびや」講座報告
実施日:5月10日(火)10:00~12:00
♦テーマ:江戸のはやり病~五代将軍綱吉麻疹に死す
♦講師:二松学舎大学講師 松尾政司
♦参加者:一般9人、会員7人、スタッフ3人 計19人
♦講座内容:
*史籍に残る疫病流行の記録は崇神天皇5年が最初。日本書紀には「国内に疾疫(エキノヤマイ)多くして民(オオミタカラ)死亡(マカ)れる者(ヒト)有りて且大半(ナカバス)ぎなむとす」とある。天平の時代には栄華を誇った藤原氏の罹病も相次ぎ、各地に国分寺を建て、大仏建立をして、平安を祈った。
*江戸時代の流行り病は「疱瘡」「麻疹」「水疱瘡」に代表される。子どもの時にこれらの病を軽く済ませておくことが長寿の秘訣とされた。しかし、「麻疹」(=はしか)は死亡率も高く、「命定め」と恐れられた。
*『徳川実記』には松平光長(徳川家康の第2子秀康の孫)、千代姫(徳川家光の娘)、徳川綱吉などが
麻疹に罹ったとの記録がある。特に綱吉については、時の将軍であり、犬公方と言われたように特異な政治を行った為政者であり、罹患時の行動や対処策も特異であった。
*綱吉は日頃から医書に親しみ生半可な知識を持っていたので、侍医たちを無視した独りよがりの自己流の投薬や処方で対処した。宝永5年の暮れに罹患した綱吉は、正月早々には一時回復したように思われたが、結局正月10日に64歳で亡くなった。
*綱吉の御台所・鷹司信子も麻疹に罹り亡くなった。麻疹にかかる前に疱瘡にも罹っていた。
綱吉の死は、いわゆる「柳沢騒動」によるもので、信子の手による暗殺であり、綱吉を殺して、自らも自殺したとの説もある(「三王外記」)が、これは妄説か。
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