柏市民公益活動情報サイト かしわん、ぽっ?活動報告文化・芸術・スポーツ11月26日(土) 月例会 坂東太郎 博学ウオーク 15km

11月26日(土) 月例会 坂東太郎 博学ウオーク 15km

公開日:2022年11月28日 最終更新日:2022年11月29日
登録元:「KWC

図9

降水予報があるためか出発式を行う布佐駅近くの公園に集まった参加者はいつもより少なく男女とも15名の30名でした。

少し長い15kmのウオーキングなので入念にウオーミングアップストレッチを行って出発しました。

図1

「徳満寺」

 (真言宗)元亀年間(1570年)祐誠上人が中興した寺。少年期の柳田國男に大きな影響を与えたとされる「間引き絵馬」は、客殿の廊下に掲げられており、飢餓や水害に苦しみ、生まれたばかりの子を母が手にかける様子で・・・明治の頃まで行なわれていた間引きの悪習を伝えるものです。地蔵尊年に1度の御開帳で、俳句会が行われている最中とあって、階段から絵馬を拝見させて頂きました。

図2

「赤松宗旦旧宅」 

赤松宗旦は、布川に住み医業を営むかたわら利根川流域にまつわる歴史、伝説、地理等を調査し「利根川図志」を世に送り出しました。靴を脱いで畳部屋に上がることが出来ましたが、面倒と思われる方が多く、案内板を読み、家の周囲の窓々から家の中を覗き観ることとなりました。

図3

「来見寺」

(曹洞宗)永禄3年(1560年)府川城主の豊島頼継が創建した寺で、かっては、頼継寺と呼ばれていましたが、徳川家康の上意により「家康が来て見た寺」ことから、「来見寺」と名が改められました。赤門は、来見寺の中では最も古い建造物で、家康公ゆかりの寺の門ということから特別に赤く(朱)ることを許されました。補修されていない現状が少々寂しく感ず。

図4

「来見寺の梅の木」 

境内には、家康公がたいそう気に入った松の木がありましたが、日山和尚が献上したことから、代わりに江戸城から返礼された「松替えの梅」と呼ばれる梅の木があります。かなりの老木でした。利根町いろはカルタより~

“松替えの 梅利根川に 香を放つ”

図5

「柳田國男記念公苑」

民俗学者の柳田國男が少年時代を過ごした旧小川邸宅の母屋を再現して、平成4年(1992年)に建てられました。貴重な木造平屋建てで構成されており、町民交流の場として解放され、茶、華道、琴等の教室やサークル活動、または宿泊施設としてご利用いただけます。

参加者一同で記念写真を撮りました。

図6

「旧小川家土蔵」(資料館)

國男の書「遠野物語」をはじめとする書物や生家の模型等が展示されており、丁寧に観ていけば、國男の人となりが浮かび上がってくる内容と云う。小川家は代々学者で書籍類が多く、國男少年はその多くを読み耽ったと云われます。

図7

「取手宿本陣」

本陣には、寛政7年(1795年)建築の主屋のほか、江戸時代の建物として土蔵と門が残っています。表門を入ると、そこには大名行列や旅人が街道を行き交った雰囲気が残っています。

染野家は水戸徳川家から本陣に指定され、歴代の水戸藩主をはじめ多くの大名や武士たちが、宿泊や休憩に利用しました。

コース途上、6名の方々が帰られましたが、完歩した全員で2回目の記念写真を撮りました。

図8

「長禅寺」(臨済宗妙心寺派)

写真は茨城県指定文化財の三世堂。外観は2層ですが、内部3層で「さざえ堂」の形式になっており、上り階段と下り階段で参拝者が交差せずに回れるようになっています。今回は、コロナウイルス対策で入館は出来ませんでした。

長禅寺の石段は急こう配で長い為、解散式を登り口で行い終了、石段チャレンジは10名ほどでした。大変お疲れ様でした!

柳田國男記念公苑で降り出した雨は利根町文化センターで昼食をとっている間に上がり、支障なく完歩することができました。

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