明治時代を作った女たち~天璋院・津田梅子・大山捨松ら~
公開日:2023年01月29日 最終更新日:2023年01月29日
2023年1月度「まなび屋講座」
*実施日:1月24日(火) 10:00~12:00 パレット柏ミーティングルームD
♦講師:進藤恵子
♦参加者:28人
♦講座内容:
*今年最初は進藤理事長の講座でした。1月15日付けの柏広報に案内出した効果でしょうか、はたまたタイトルが良かったからでしょうか。28名という大勢の受講者を集めることができた。
*天璋院と和宮:和宮は皇室から、天璋院(篤姫)は嶋津家から江戸将軍の正室として嫁ぎ江戸末期の将軍政治の幕引きと明治新政府の体制への引き継ぎに対し、女性の立場から、江戸城の無血開城や旧将軍家の処遇など挙国一致の新政府体制づくりを円滑に勧めることに奮闘した。
*徳川泰子:近衛家から嫁ぎ、徳川家16代当主家達の妻となる。天璋院に薫陶を受け、徳川家の子弟に漢語や国文の手ほどきをした。華族令施行後、公爵となり貴族院議長を30年務めた家達を支えた。多彩な趣味を極め、日本赤十字社の会長も務めた。
*津田梅子:明治4年岩倉使節団に伴い6歳で渡米留学。11年間勉学に励み、帰国後、家庭教師や女学校の英語教師などをしたが、「忠君愛国」の精神になじめず辞任。自ら女子英学塾を開校し「自立する女性」を育成した。津田梅子の英学塾は現在「津田塾大学」となっている。
*大山捨松:会津藩家老山川家の娘として生まれる。明治4年津田梅子ともに11歳で留学。11年後に帰国したが留学の成果を生かす仕事はなく悶々とした日々を過ごした。2年後陸軍卿大山巌と結婚。鹿鳴館の華として活躍。病院見学で看護婦の必要を痛感し、鹿鳴館でのバザーなどで資金を集め看護婦養成所を作った。さらに女子教育にも熱心で、津田梅子の英語塾を全面支援した。