2月度まなび屋「遣唐使・阿倍仲麻呂」
公開日:2023年02月19日 最終更新日:2023年02月19日
「遣唐使・阿倍仲麻呂」
実施日:2月14日(火) 10:00~12:00 パレット柏
♦講師:開智国際大学教授 三枝秀子先生
♦参加者:一般20人、会員5人、スタッフ3人 計28人
♦講座状況・講座概要:
*先月に続き広報柏に案内を掲載したので、一般受講生を多く集めることができた。
*遣唐使使節団は遣唐使に随行する留学生が同行する。阿倍仲麻呂は717年第8次遣唐使派遣に遣唐留学生(ケントウルガクショウ)として19歳で渡唐した。渡唐仲間には吉備真備もいた。
*唐王朝は617年から907年まで約300年続いたが、仲麻呂が渡った頃は玄宗皇帝の時代で唐が最も栄えた時代であった。その中で仲麻呂は中国名“朝衡”と言う名前をもらい、大学で学びひたすら官僚への道を目指した。
*役人(官僚)になるには、科挙(役人登用試験)を受けなければならない。科挙の内容は「経義」「策論」「詩賦」の試験であり、儒教の知識、政治問題、詩文の能力に秀でてなければならない。科挙に受かった仲麻呂はエリート官僚として出世していく。
*その間、王維、李白などの文人との交流を深めた。
*一方で、帰国への思いも募ったが、第9次遣唐使の入唐の折り(733年)には帰国が許されなかった。吉備真備はこのとき帰国している。
*753年、57歳で官僚のトップ秘書監に上り詰めた。同年第10次遣唐使がやってきて、帰国が許された。この時詠んだ歌が「天の原ふりさけ見れば春日なる 三笠の山に出でし月かも」である。しかし、仲麻呂の乗った船が遭難し,安南(ベトナム)に流された。一命をとりとめてやがて唐に戻り復職し70歳まで官吏を務めた。帰国を果たせず、770年73歳で生涯を終えた。
*仲麻呂の詩の腕前は,唐人でも難しい五言拝律、平仄、対句などの約束事にも精通したすぐれたものであった。