まなび屋8月度「紀貫之の生き方」~古今和歌集上奏から終焉まで
公開日:2022年08月29日 最終更新日:2022年08月30日
講座実施日:8月23日(火) 10:00~12:00パレット柏
♦テーマ: 「紀貫之の生き方」~古今和歌集上奏から終焉まで
♦講師:開智国際大学教授 服部一枝氏
♦参加者:一般10人、会員4人、スタッフ3人 計17人
♦講座内容:
*「紀貫之」のシリーズ最終回。コロナ禍で2年6ヶ月の中断があり、やっと今回講座が開催できた。まず前回迄の生い立ちや古今和歌集選者への道のりなどを簡単に振り返り、今回の講座に入った。
*古今和歌集選定後、古今和歌集の仮名序が評価され、貫之は歌人としての地位は高揚した。延喜7年(40歳)、「紀師匠曲水宴和歌」を催した。
*貫之が主従関係を結んだ藤原兼輔の加護の元で歌人貫之の生活は充実した。歌人としての活躍の他屏風歌詠作家としても名声を高めた。
*一方役人としての出世は遅く、延喜17年従五位下になったときはすでに50歳になっていた。同年加賀介を任じられるも不満として奉請、翌延喜18年美濃介になり赴任。延長7年(62歳)、兼輔の推挙により、新撰和歌撰進の下命を得る。延長8年(63歳)、土佐の守に任じられ、新撰和歌完成の課題を持って土佐の国に赴任。
*土佐赴任中に新撰和歌の勅命者醍醐天皇の崩御、右大臣藤原定方薨去、中納言藤原兼輔苑去と訃報が相次ぎ、貫之は悲しみに明け暮れる。承平4年(67歳)、任期を終え翌年帰京を果たす。帰京の旅の出来事、心情を綴ったものが「土佐日記」にまとめられた。
*天慶9年、貫之は79歳で生涯を終える。長寿である。辞世の句は、
「てに結ぶ 水にやどれる月影の あるかなきかの 世にこそありけれ」