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10月21日(土)日光道中ゆっくりウオーク⑥(栗橋宿―野木宿)18Km

公開日:2018年10月25日 最終更新日:2022年03月31日

タイトル 10月21日(土)日光道中ゆっくりウオーク⑥(栗橋宿―野木宿)18Km

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今日は、1年のうちに2~3回しかないと言われる日本全国快晴の日です。その貴重な天気の中、日光街道ウォークを満喫したのは55名(男31名、女24名)でした。
 左の集合写真は、今日のゴールも近い野木神社で撮影、今日の天気のように晴れ晴れした笑顔が並びました。
 1600年の歴史を経た神社、明治時代の乃木大将も度々参詣に訪れたとのこと。樹齢1200年の大銀杏と長い参道が記憶に残ります。

JR栗橋駅から東北東の方向、徒歩10分ほどの栗橋公民館で出発式です。会長挨拶の後、ストレッチをしっかりやりスタートです。
 今日は、栗橋関跡から利根川を渡り、松並木の中田宿、城下町の古河宿を経て野木宿に至ります。

利根川の堤下にある栗橋関跡にやって来ました。利根川に橋が架かる前は、「房川渡し」と言う渡船場があり、東海道の箱根関所、中山道の碓氷関所と並ぶ3大関所の1つでした。対岸には、中田関跡があります。

栗橋関所跡から利根川に沿って北西に数百メートル行くと、堤に上る手前に八坂神社があります。100人で担ぐと言う関東3大神輿の1つが鎮座し、歴史ある社殿の前には、狛犬ならぬ狛鯉が、水害から地域を守っています。

渡り切るのに8分ほどかかる利根川橋を渡って、中田宿の鎮守「鶴峯八幡神社」にやって来ました。旅の安全を祈る5柱の神が祀られており、旅の者が「足踏み」をして安全を祈りました。(足踏みは、「左右左」を3回行います。)

鶴峯八幡神社に隣接する光了寺は、利根川改修前は栗橋にあり「高柳寺」と称していた。
 静御前が帰依した寺として有名。

茶屋新田辺りから古河の原町(古河1里塚近辺)までの1里(4Km)は、中田の松原と呼ばれ、「東海道にもこのように真っすぐで、平らで、道幅広い松並木の所はない」と讃えられましたが、今は昔。

芝生と池が美しい古河総合公園で昼食を摂りました。昼食後、園内の古民家を見学。岩手県の飛田家住宅、茨城県の中山家住宅が展示公開されており、大河ドラマ「西郷どん」の撮影にも使われたとか。

今日のハイライトの1つ、鷹見泉石記念館に入ります。古賀城主の土井利勝が家老の為に建てた武家屋敷。蘭学者で古河藩家老職を勤めた鷹見泉石が晩年を送った屋敷です。家屋も庭も流石ですね。

ここは、古河城の御茶屋口です。
徳川将軍の日光社参は、江戸時代を通じて194回行われましたが、古河城は道中の宿城となることが多く、この御茶屋口から西方の御成道を経て御成門から入城しました。

神宮寺は、1466年に鎌倉で開設されましたが、当時の鎌倉公方である足利氏の古河入りに伴って、古河に移りました。室町時代の作である「十一面観音菩薩像」が安置されております。(県の有形文化財)

筑波方面への道と日光街道が交差するこの辻に常夜灯形式の「古河宿道標」が立てられています。
 徳川の将軍たちも、日光参詣、古河入城の際はこの場所を休憩所としていました。

古河宿と野木宿の中間辺りにある塩滑地蔵菩薩。自分の身体の痛むところと同じところに塩を塗ると直るとの言い伝えが・・・。

仁徳天皇の御代に建立された野木神社。源頼朝、実朝など特に源氏の信仰が厚かったようです。
 社殿の左には、福が舞い込むようにとの願いからか2羽のフクロウの石像が置かれていました。

野木神社そして満願寺を経てゴールの野木駅に近いあじさい公園にやって来ました。少年達が野球の練習をしている横でストレッチ。
 雲一つない青空の下、18Kmを完歩し、青々とした芝生の上に寝転ぶ芝生の上。幸せですね。

 次の月例会は、11月24日(土)に「武蔵野の清流柳瀬川から紅葉の平林寺周辺散策」です。参加希望者は、JR武蔵野線の新座駅にAM9:30集合です。ご参加ください。

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